烏鷺光一の「囲碁と歴史」

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

中央工学校開校の地

 地下鉄新宿線の神保町駅 A1出口から南に200mほど行ったところにある日本教育会館(一ツ橋ホール)前の歩道上に「中央工学校開校の地」の碑があります。
 中央工学校は、工業技術者育成のために設立された私立の専門学校で、明治42年(1909)に この場所に開校。
 戦争により焼失したため、昭和37年(1962)に 北区王子に校舎を新築し移転しています。
 卒業生の中には、昨年ブームとなった田中角栄元首相がいます。
 碑は、平成21年(2009)に 開校100周年を記念して建立されたものだそうです。

中央工学校開校の地
中央公学校開校の地

碑


千代田区一ツ橋2丁目6−3 一ツ橋ホールとなりの一ツ橋ビル前の歩道

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

方円社の新会館

 明治12年(1879)に設立された方円社は神田区表神保町にありましたが、明治26年(1893)に神田区錦町三丁目へ新築移転し披露会が開催されています。
 明治19年(1986)10月14日に初代社長・本因坊門秀甫が亡くなり、中川亀三郎が二代目社長となっていますが、方円社の経営は実質的に小林鉄次郎が行っていて安定していました。表神保町の住所は寄留となっていて借家のようでしたので、念願の自社ビルを建築したのでしょう。
 場所は現在の学士会館の南側で、神田税務署の西側となります。この場所は学士会館と同じ、東京大学があった場所で、大学が本郷に移転したことにより土地が分譲されたと思われます。

大正元年の地図
大正元年の地図

 秀甫が本因坊門となり新会館が出来るなど、正にこの頃の方円社は絶頂期を迎えますが、移転から数ヶ月後に小林鉄次郎が亡くなると、その繁栄も次第にかげりを見せ始め、数年後には会館を手放すことになります。
 その後、方円社は以前紹介した末廣町へ移転していますが、そこは亀三郎が借りた普通の民家に看板をかけただけの質素なものだったと言われています

方円社跡
方円社跡

神田区錦町三丁目十五番地
 現住所:千代田区神田錦町3丁目5−1、9、7-2あたり

【関連記事】
 明治20年代後半の方円社跡地

| 方円社 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

新島襄先生生誕之地碑

 神田錦町の学士会館の建物の南側に、同志社大学の創立者として知られる新島襄の生誕之地碑があります。平成25年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、綾瀬はるか演じる新島八重の夫としてオダギリジョーが演じたことで一躍有名とあった人物です。
 新島襄は、上野(群馬)安中藩三万石、板倉伊予守の家臣の子として藩上屋敷で生まれますが、それが神田錦町の学士会館付近だったそうです。
 その後、藩士となり蘭学を修め、元治元年(1864)には脱藩して密航し米国に渡っています。米国で洗礼を受け、アーモスト大学を卒業。明治維新後、岩倉具視遣外使節に随行し、各国の教育制度を調査し帰国すると、京都を拠点に伝道活動に励み、明治8年(1875)同志社英学校、同10年(1877)に同志社女学校を創立します。そして大学設立を目指し尽力する最中の明治23年(1890)にその生涯を閉じています。

新島襄先生生誕之地碑
新島襄先生生誕之地碑

説明板
説明板

千代田区神田錦町3-28

| 明治・大正時代 | 07:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

東京大学発祥の地 学士会館

 千代田区神田錦町の「学士会館」正面玄関の前に「東京大学発祥の地」の碑が建立されています。説明版は「我が国の大学発祥地」と表記されていて、東京大学発祥地がイコール我が国大学の発祥地であることを示しています。学士会館については以前、建物の北側にある「日本野球発祥の地」の碑について紹介しています。
  この辺りは元々、護持院という寺院があったことに由来する「護持ケ原」と呼ばれる「火除地」があり、将軍の猟場として使用されてきました。
 その護持ケ原に文久2年(1862)、洋学調所(蕃書調所)が移転してきて、明治2年(1869)には大学南校となります。その後、名称が何度か変わり、明治10年「東京開成学校」の時に、当時、加賀前田屋敷跡にあった東京医学校と合併し、 東京大学が創立されました。 
  護持院ケ原は、東京大学のほか、東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地であり、その影響で神保町の書店街が形成されていったそうです。

学士会館
学士会館

 学士会は、明治19年(1886)に帝国大学(現在の東京大学)の同窓会組織として創立。帝国大学は現在、東京大学、京都大学、名古屋大学などに分かれたため、一つの大学の枠を超えた組織となっています。
 現在の学士会館は、昭和3年(1928)に関東大震災の復興建物として完成。現在は宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する施設ですが、昭和11年(1936)に勃発した「2・26事件」では第14師団東京警備隊司令部が置かれ、太平洋戦争時は屋上に高射機関銃を設置。戦後はGHQに接収され高級将校の宿舎や将校倶楽部として活用されるなど様々な歴史を刻んでいます。

東京大学発祥の地碑
東京大学発祥の地碑

説明板
説明板

千代田区神田錦町3−28

【関連記事】 日本野球発祥の地

| 明治・大正時代 | 07:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

文房堂

 方円社があった、かつての「神田区表神保町2番地」の区画に現在「文房堂」という画材店があります。
 文房堂は明治20年(1887)に神田区小川町で創業。当初は創業者池田治朗吉の遠縁にあたる丸善の創業者・早矢仕有的が経営していた書店の一部を借りてのスタートだったそうです。
 池田は福沢諭吉の門下生で、その影響により西洋美術(画材)や文具を輸入販売。その後、国産のオリジナル商品を取り扱うようになっていきます。
 現在の神田すずらん通りに店舗を新築したのは明治39年(1906)のことで、大正11年(1922)に改築。当時まだ珍しかった鉄筋造りの建物であったため、翌年発生した関東大震災でも倒壊を免れています。
 平成元年(1990)に千代田区より「都市景観賞」を受賞。同年建物は建替えられますが区の要請で特殊工法を用い外壁のみを保存し背面の建物を建て替えています。

文房堂
文房堂

文房堂入口
文房堂入口

都市景観賞のプレート
都市景観賞のプレート

千代田区神田神保町1-21-1

| 明治・大正時代 | 07:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。