烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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和気清麻呂の像

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 大手町一丁目4の地下鉄竹橋駅2番出口を出たところの公園に和気清麻呂の銅像があります。
 
 和気清麻呂は備前国出身で奈良時代末期から平安時代に活躍した貴族です。女帝である称徳天皇(孝謙天皇が退位後、再び即位)の寵愛を受け法王まで登りつめた道鏡が天皇になれば天下は太平になるという神託が宇佐八幡宮から奏上され直接確認するため清麻呂が天皇の勅使として出向きます。しかし、清麻呂は最初の神託とは逆の結果を持ち帰ったため天皇の怒りを買い、名前を「別部穢麻呂(わけべのけがれまろ)」と改名させられ大隅国(鹿児島)へ流布されてしまいます。



 一年後、称徳天皇が没し、道鏡が失脚すると清麻呂は復権し、桓武天皇に重用されます。



 清麻呂は天皇家を救ったとして特に明治以降、忠臣として讃えられ昭和初期には紙幣の肖像にもなっています。銅像は昭和15年に皇紀2600年を記念して建立されました。戦後、GHQにより軍国主義につながると廃棄の動きもありましたが天皇制の維持に配慮して免れています。

| 奈良時代 | 23:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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吉備公館址と真備公産湯の井戸

岡山県倉敷市真備町のまきび公園の近くに吉備真備が生まれた場所と伝わる公館址と産湯の井戸がある。吉備真備は吉備地方の有力豪族である吉備氏の分派である下道氏の出身でこのあたりは下道氏の領地であった。霊亀2年(716)に遣唐使となり天平7年(735)に帰国する間、儒学・天文学・音楽・兵学等を学ぶ。帰国後、聖武天皇・光明皇后の寵愛を受け出世していくが,政治の実権を握った藤原仲麻呂により左遷された後、天平勝宝3年に遣唐副使となり翌年に再び唐に渡る。一年後に鑑真とともに帰国するが大宰府等に赴任し70歳の時に東大寺造営の責任者として帰朝した。帰朝まもなくの天平神護2年(766)に起こった藤原仲麻呂の乱では中衛大将として鎮圧にあたり、後に右大臣にまで昇進している。学者でありながらここまで出世したのは真備と菅原道真の二人のみである。



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吉備公館址の碑




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真備公産湯の井戸


| 奈良時代 | 20:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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吉備真備像

 吉備真備は奈良時代の学者で、遣唐使となり唐に渡っています。

 多くの伝説もあり、そのなかに囲碁のこともあります。

 囲碁を日本に伝えたのが吉備真備であるといわれていました。現在では真備が唐に行く前から囲碁があったとされ、真備が伝えたいうことは間違いであったといわれています。


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倉敷市真備支局にある吉備真備像

| 奈良時代 | 21:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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