烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

関羽と囲碁

関帝廟の柱
関帝廟の柱

囲碁の彫刻
囲碁の彫刻

囲碁の彫刻
囲碁の彫刻

」の特徴として、壁や柱に見事な石の彫刻が施されている事がありますが、その中には三国志で関羽が活躍したエピソードも盛り込まれています。
 関羽には囲碁に関するエピソードが残されています。「樊城の戦い」において関羽は龐徳の放った毒矢が腕に刺さり荊州に引き返します。そこで、伝説の名医・華佗による手術が行われる事になりますが、その方法は腕を切り開き、骨を削って毒を取り除くというものでした。
 もちろん麻酔など無い時代ですし、華佗は治療中は腕を柱に固定する事を提案しますが、関羽はこれを断り手術の間、酒を飲みながら平然と馬良と碁を打っていたそうです。
 三国志の有名なシーンですが、関帝廟にもきっと、このシーンが有るはずだと思い探したところ、ついに見つけました。場所は神殿の向かって一番左側の柱です。皆さまもお参りした際には一度見てみて下さい。
 この他にも、神殿内部の壁に囲碁のシーンのレリーフがあるそうですが、こちらは有料で作法にのっとりお祈りしないといけないとの事で、写真も撮れるか分からなかったため今回は控えました。

横浜中華街関帝廟:横浜市中区山下町140番地

| 囲碁のある風景 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

新勝寺と囲碁

 寺院などを訪れた際、琴棋書画がないか調べていますが、なかなかお目にかかれる事はありません。新勝寺では二ヶ所で発見しましたので紹介させていただきます。

 新勝寺の仁王門の欄間には琴棋書画の彫刻が施されています。門の裏面に囲碁の彫刻を見ることができます。

新勝寺仁王門
仁王門

仁王門の琴棋書画
仁王門の琴棋書画

 新勝寺の三重塔にも囲碁の彫物があります。大本堂前の参道から見て正面の扉の上に華やかな色彩の彫物がありますので参拝された方はぜひご覧ください。

新勝寺三重塔
三重塔

三重塔の琴棋書画
三重塔の囲碁の彫物

 歴史ある成田山新勝寺は囲碁との関わりも少なくありません。江戸時代より数々に囲碁対局が行われた記録も残っています。
 以前も紹介しましたが、12世林柏栄門入は16歳まで成田山新勝寺の小姓を務めていたそうです。
 新勝寺と繋がりが深かった歌舞伎の5代目市川海老蔵(7代目市川団十郎)は、美男子だった柏栄を見かけ養子にして歌舞伎役者として育てたいと申し込みます。結局この話は実現せず柏栄は囲碁の道に進み林家を継承しています。


千葉県成田市成田1番地

| 囲碁のある風景 | 12:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

千畳閣 囲碁の奉納絵馬と藤沢秀行の書

 宮島の厳島神社の近くにある千畳閣は、厳島神社の末社豊国神社本殿の通称です。
 天正15年(1587)に、豊臣秀吉の命により安国寺恵瓊が大経堂として建設を始めますが、秀吉の死により工事は中止され、板壁も天井の板もない未完成の状態となります。その広さから「千畳閣」と呼ばれるようになったそうです。
 明治時代に入ると神仏分離令により本尊の釈迦如来座像が大願寺に移され、厳島神社の末社として秀吉公と清正公を祀る豊国神社となります。

千畳閣
千畳閣

 千畳閣にはたくさんの絵馬が奉納されています。江戸時代のものもあり歴史を感じさせられます。

千畳閣内部
奉納絵馬

 千畳閣の奉納絵馬の中に碁盤と碁石が描かれたものがあります。明治期に囲碁関係者が奉納したもので、盤上の棋譜は本因坊丈和と赤星因徹による「吐血の局」です。なぜここに吐血の局なのでしょうか?

棋譜
「吐血の局」の奉納絵馬

 囲碁の絵馬には奉納に関わった人々の名が記されていますが、その中に「石谷広策」の名を発見しました。
 石谷広策は広島県の能美島出身の秀策の弟弟子です。
 広策は明治以降、秀策の顕彰につとめ、秀策の打碁集「敲玉余韻」を出版します。江戸時代には本因坊道策が前聖と呼ばれたのに対して、本因坊丈和が後聖と呼ばれていましたが、明治以降、秀策が後聖と呼ばれるようになります。これは広策の活動によるものが大きいと言われています。

石谷広策の名
絵馬に記された「石谷広策」の名

 千畳閣の「吐血の局」の奉納絵馬と向かい合って、名誉棋聖・藤沢秀行氏(2009年没)の書が掲げられています。平成7年に、「厳島神社御鎮座式年千四百年祭奉納囲碁大会」が開かれた際に奉納された絵馬だそうです。
 「磊磊」(らいらい)とは、石が多く積み重なっているさまを表し、心が広く,小事にこだわらないという意味です。

 ところで、藤沢秀行の孫娘である藤沢里菜二段(16)は、現在、史上最年少で「第33期女流本因坊戦」で向井千瑛女流本因坊に挑戦中ですが、10月8日に行われた第一局に勝利し好スタートを切りました。秀行のDNAはしっかり受け継がれています。

藤沢秀行の額
藤沢秀行氏の書「磊磊」

広島県廿日市市宮島町1-1

| 囲碁のある風景 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

被爆した陶製碁石

 広島平和記念資料館には、原爆による熱で変形した品々が展示されています。下記写真の中央にある石のような塊(半分臺で隠れていますが)は陶製の碁石だそうです。碁石といえば黒石は石、白石は貝殻というイメージがありますが例えば江戸時代には木で造られた碁石もありました。「碁」という漢字は下に「石」の字がありますが、江戸時代の書物には「石」が「木」の字になっているものもあります。

 当然、陶器製の碁石も用いられていたようですが、展示品は原爆の熱により各碁石がくっつき一つの塊になっています。
 ちなみに、下記写真は画質やアングルが悪い状態ですが、展示品に被爆した碁石があると聞いて探していたのですが見つけることが出来なくて諦めていたところ、最近になって展示されていたことが分かり撮影した写真を改めて確認して見つけました。展示品全体を撮影した写真だったため拡大しましたが荒い画質となってしまいました。
 この他、普通の碁石も資料館に収蔵されていますが、現在展示はされていません。ただ、広島平和記念資料館のホームページ内に「平和データベース」があり、その中の「被爆資料」で「碁」で検索すると写真を見ることができます。

広島平和記念資料館ホームページ内 被爆資料

被爆した陶製碁石

広島平和記念資料館 : 広島県広島市中区中島町1-2

| 囲碁のある風景 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

囲碁発祥の地記念碑

 いよいよ、今回、矢掛町を訪れた理由である「囲碁発祥之地記念碑」の場所へ行ってみました。前回、訪問した時は事前リサーチ不足と時間に余裕が無かったため吉備真備像と石造りの碁盤のみ撮って帰り、碑の存在に気づいていませんでした。実は公園は真備像から向かって右側に道があって「古代オブジェ公園」へと繋がっていました。そして、その入口に「囲碁発祥之地記念碑」が建立されていたのです。



Imag4513
「吉備真備公園」入口の説明板




 囲碁を日本へ伝えたと言われる吉備真備ゆかりの地に「囲碁発祥之地記念碑」が建立された訳ですが、題字は関西棋院総帥の橋本宇太郎によるものです。
 大坂出身の橋本宇太郎はタイトル戦となった本因坊戦の二期本因坊でしたが、「原爆下の対局」として有名な三期本因坊戦で、岩本薫にタイトルを奪われます。
 しかし、五期本因坊戦でタイトルを奪回、六期も防衛し「本因坊昭宇」と名乗ります。一方、日本棋院の下部組織であった関西棋院の独立を宣言。その総帥に就任し、本因坊戦は日本棋院と関西棋院の対立という構図になっていきます。七期でタイトルは失いますが、その後もトップ棋士として活躍し「十段」「名人」のタイトルを獲得し平成6年に87歳で死亡。今年に囲碁殿堂入りしています。なお、「吉備真備公園」の碑は平成2年に建立されたものです。



Imag4502
囲碁発祥之地記念碑


Imag4503_2
現地説明板


「古代オブジェ公園」には囲碁のオブジェも設置されていました。しかし、そこに描かれていたのは、なぜか黒石のみの絵でした。




Imag4506
古代オブジェ公園


Imag4508
囲碁のオブジェ



吉備真備公園:岡山県小田郡矢掛町東三成3872−2



| 囲碁のある風景 | 23:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。