烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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東京メトロ市ヶ谷駅 江戸歴史散歩コーナー

 以前、JR市ヶ谷駅構内にある囲碁モザイクアートについて説明しましたが、東京メトロ市ヶ谷駅には「江戸歴史散歩コーナー」があります。
 コーナーには、南北線建設工事の際に雉子橋(千代田区九段南)から出土した石材を使用し、当時の技法である「打ち込みハギ」で、石垣が再現されています。

江戸歴史散歩コーナー
江戸歴史散歩コーナー

 また、床は「江戸切絵図」となっていて、現在の紀尾井町周辺の様子が身近にわかるようになっています。

安政6年江戸大絵図
安政6年江戸大絵図

展示パネル
展示パネル

【関連記事】 JR市ヶ谷駅の囲碁モザイクアート


新宿区市谷田町1 (南北線市ケ谷駅構内)

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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白隠禅師誕生地

 「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と歌われた臨済宗中興の祖、白隠禅師が住職を務めた「松陰寺」の近くに「白隠禅師誕生地」の碑が建立されています。
 白隠禅師は貞享2年(1686) 、原宿の長澤家の三男として生まれます。
 15才の時に松蔭寺の単嶺祖伝和尚を師として出家。19才から32才まで修行のため全国を巡り、33才で松蔭寺住職となると84才で亡くなるまで松蔭寺を中心に全国各地で真の禅宗の教えを広めています。
 碑のある場所は、旧東海道沿いに位置し、母の生家・味噌屋(みそや)があった場所で、後に父親が分家して沢瀉屋(おもだかや)を名乗ったそうです。現地には禅師が生まれた時に使用したという「産湯の井戸」が残されていました。

白隠禅師誕生地の碑
白隠禅師誕生地の碑

説明プレート
説明プレート

白隠禅師誕生地
白隠禅師誕生地

産湯の井戸
産湯の井戸

静岡県沼津市原909-2

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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久能山東照宮 家康公の神廟

 久能山東照宮の社殿の脇を抜けると、家康公が葬られていた御神廟へとつづく参道があります。参道の両脇には家康公に仕えた大名たちが奉納した石灯籠が据えられています。

神廟へと続く参道
神廟へと続く参道

 「神廟」は徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟で、当初は小さな祠だったそうですが、その後、三代将軍徳川家光公により現在の石塔が建てられたそうです。家康公の遺命により、西国ににらみをきかすため西向きに建てられています。

神廟
神廟

神廟
神廟

 神廟のすぐ近くには、家康公愛馬の墓もありました。

家康公愛馬の墓
家康公愛馬の墓

静岡県静岡市駿河区根古屋390

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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久能山東照宮2

 久能東照宮の唐門は元和3年(1617)に建てられたもので、社殿の前に繋がり極彩色の漆塗りが施されています。
 青色の塗りが特徴ですが、この色は「ラピスラズリ(瑠璃色)」と言い、薬師如来の放つ光の色と言われています。
 唐門は国の重要文化財に指定されています。

唐門
唐門

 久能山東照宮の社殿は、本殿・石ノ間・拝殿で構成された「権現造」で、元和3年(1617)の落成。家康公が亡くなってから1年7ヶ月という短期間で建てられた社殿は、その後建造される日光東照宮を始めとする全国の東照宮の原型とされています。
 江戸時代初期の最高の建築技術・芸術が結集した社殿は、国宝に指定されています。

拝殿
拝殿

唐門前にある唐銅燈籠は唐門の附属として、一緒に重要文化財に指定されています。

 唐門前の唐銅燈籠

唐門前の唐銅燈籠
唐門前の唐銅燈籠

 境内にある「日枝神社」は、元は薬師如来像を安置した薬師堂でしたが、明治時代に神仏分離令で仏像を移し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝えられています。

日枝神社
日枝神社

 境内に家康公の手形が展示されていました。家康公は身長155cm、体重60kgだったそうです。

家康公の手形
家康公の手形

 静岡には玩具メーカー「バンダイ」の工場があり、そこで「ガンダムシリーズ」のプラモデル(ガンプラ)が製造されています。
 平成22年に開催された「静岡ホビーフェア」では、等身大のガンダムが展示されるなど話題を呼びましたが、この時、久能山東照宮に奉納されたのが、家康公の鎧をモチーフとした特別仕様のガンプラです。
 一つは家康公が初陣で着用したと言われる「金陀美具足」をモチーフとした「武者ガンダム」。もう一つは関ヶ原の戦いで着用したと言われる「歯朶具足」をモチーフとしたSDガンダムです。

奉納された徳川家康公型ガンダム
奉納された徳川家康公型ガンダム

静岡県静岡市駿河区根古屋390

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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久能山東照宮1

 静岡市駿河区根古屋、久能山の山頂にある「久能山東照宮」は、晩年を駿府で過ごした徳川家康公が元和2年(1616)に亡くなった後、遺命により、最初に埋葬された場所です。
 久能山(標高216m)には、もともと久能寺という寺院がありましたが、永禄11年(1568)、駿府へ進出した武田信玄により、この地に久能城が築かれます。その後、駿河を支配下に治めた徳川家康公も、久能城を重要視していて、死後、西国ににらみをきかすために自らを祀らせたと考えられています。
 家康公の遺命は久能山への埋葬と日光山への神社造営であり、2代将軍・秀忠公は家康公を葬った久能山に東照社(現・久能山東照宮)の社殿を造営するのとほぼ同時に東照社(現・日光東照宮)の造営を始めています。やがて、家康公の遺骸は日光へ改葬され、東照社は3代将軍・家光公による大改築で、現在のような豪華絢爛な建物となります。当時、家光公は久能山の整備も命じ、この時に社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、楼門などが増築されています。
本殿、石の間、拝殿は平成22年(2010年)に、国宝に指定されています。

楼門
楼門

 勅額御門とも呼ばれている楼門には、後水尾天皇の宸筆である「東照大権現」の扁額が掲げられています。

後水尾天皇による扁額
後水尾天皇による扁額

 楼門から唐門にかけての境内には、かつて久能山東照宮のシンボルとも言える五重塔がありましたが、明治時代の神仏分離令を受けて取壊され、現在、礎石のみが残されています。

境内
境内

葵の御紋の水桶
葵の御紋の水桶

 「鼓楼」はもともと鐘を突く鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離により仏教施設である釣鐘が撤去され、中身が太鼓へと替えられました。「鼓楼」の太鼓は江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。

鼓楼
鼓楼

静岡県静岡市駿河区根古屋390

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