烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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原爆の子の像 広島平和記念公園

 広島市の広島平和記念公園内にある、「原爆の子の像」は原爆による白血病で亡くなった少女。佐々木禎子さんがモデルで同級生らによる募金運動により1958年に建立されました。
 昭和20年(1945)8月6日、禎子が2歳のときに広島に原爆が投下され、禎子は爆心地から1.7km離れた自宅で黒い雨により被爆します。しかし、その後も身体の不調を訴えることなく元気に成長していきました。
 昭和30年(1955)に禎子は身体の異変を感じ検査したところ白血病であることが判明。余命1年と診断され、広島赤十字病院(現:広島赤十字・原爆病院)に入院します。
 入院中に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送らたことから自らも折り鶴を折り始めます。折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じて禎子は鶴を折りつづけたそうで、やがて、病院内の他の入院患者も折り始めます。
 しかし、禎子の願いも空しく病気は回復することはなく入院から数ヶ月後に短い生涯を終えます。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの慰霊と平和を祈るための像をつくろうと、全国から募金が集まり平和記念公園内に「原爆の子の像」が建立されます。
 現在でも入院患者の病気回復を祈って千羽鶴が贈られますが、この風習が広まったのは禎子さんの話が全国に広まったことが影響していると言われています。
 この話は世界中にも広がり、現在でも「原爆の子の像」には世界各国から折り鶴が捧げられ続けています。

原爆の子の像
原爆の子の像

広島県広島市中区中島町 平和記念公園内
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