烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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原爆ドーム前の碑

 広島の原爆ドーム前の元安川沿いに二つの碑があります。一つは昔の「相生橋」の親柱と、旧相生橋碑です。
 原爆ドームは太田川下流域の三角州地帯の中央を流れる本川と元安川の分流地点付近にあり、この辺りは江戸時代は防衛上の理由から橋は架けられていませんでした。
 明治に入ると民間の富豪により木造の橋が架けられます。二つの橋が出合う様からこの時、「相合橋」と名付けられたそうです。
 その後、橋は市に移管され電車も通るなど、交通の要所として発展し、橋の名前もいつしか「相生橋」と呼ばれるようになります。昭和10年代には鉄筋コンクリートの橋に架け変わりますが橋の真ん中からT字状に連絡橋が伸びる珍しい形状の橋でした。
 昭和20年(1945)8月6日に米軍により原子爆弾「リトルボーイ」が投下されますが、その目標が「相生橋」だったそうです。 原爆投下後には橋の下は流されてきた死体によって水面も見えないほどだったそうですが、橋は衝撃に耐え落ちなかったため生き残った人々は、この橋を渡って逃げ延びたといわれています。
 原爆等価当時の橋は老朽化のために昭和50年代に架け替えられています。

相生橋の碑
「相生橋」の親柱と、旧相生橋碑

 相生橋の碑の隣りには、広島市出身の小説家・児童文学者で、日本の児童文化運動の父とされる、鈴木三重吉の碑があります。
 鈴木は政府主導の唱歌や童話に反発し、大正7年に童話と童謡の児童雑誌「赤い鳥」を創刊します。
 創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子らが賛同し、その後菊池寛、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風らが作品を寄稿しています。
 「赤い鳥」には童謡「からたちの花」(北原白秋)、「かなりや」(西條八十)や童話「蜘蛛の糸」(芥川龍之介)など多くの名作が掲載されますが、関東大震災による休刊や鈴木の死去により昭和11年に廃刊となっています。

鈴木三重吉記念碑
鈴木三重吉記念碑

中区大手町1丁目、相生橋東詰め
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