烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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鳥取城主 吉川経家

鳥取城に最も長く居城したのは江戸時代、 年に渡って因幡・伯耆の二カ国を納めた池田公ですが、城主として最も有名なのは秀吉の二回目の鳥取城攻めの時の城主であった吉川経家でしょう。経家公の銅像が鳥取城跡にある武道館の敷地にあります。



 天正8年(1580)に秀吉が最初に鳥取城を攻めた際、毛利方であった城主・山名豊国は降伏して織田家の軍門に下りますが徹底抗戦を主張する家臣と対立し唯一人城を離れます。



 再び毛利方となった鳥取城では毛利元就の次男・吉川元春に支援を求め、吉川一門で文武両道に優れた名将・経家が派遣されました。



 こうした中、天正9年に秀吉による二回目の鳥取城を攻めが開始されます。侵攻に先立ち秀吉は若狭の商人を使い周辺の兵糧を高値で買い取らせます。城内の兵糧米まで売却されたため戦いが始まった時には、すでに兵糧が不足していたと言われています。



 秀吉は無理に城を攻めようとせず完全に包囲します。吉川元春は兵糧を送ろうと試みますが失敗したため大量の餓死者を出して四ヶ月目には、とうとう降伏しました。この時、秀吉は支援のために派遣されてきた経家を処分しようとは考えず帰還するようにいいますが経家は責任は全て自分にあると兵士の助命を訴えて自刃します。



 この戦いは「鳥取城渇え殺し」と呼ばれ、「高松城の水攻め」と並び秀吉の行った戦いとして後世に語り継がれています。



 経家の潔さは人々の尊敬を集めていて、平成5年には現在地に銅像が建立されました。経家の子孫に、テレビ番組「笑点」で永年司会を務め、平成21年に亡くなった落語家・五代目林家圓楽がいます。銅像の除幕式には鳥取を訪れ参加されたそうです。




Imag0457
鳥取城跡




Imag0460_2
吉川経家像

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