烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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金玉均3

 はじめ金の亡命は秘された。

 朝鮮が金の引渡しを要求してきたが、明治政府は知らぬ存ぜぬで通した。たとえ亡命していても万国公法で政治亡命人は引き渡せぬとした。

 金は福澤諭吉、浅草、横浜と居を替え、明治十八年四月には関西方面にいた。

 九月東京にもどり、一切来客を断って書き物をしていたという。

 十一月、旧自由党の大井憲太郎らの朝鮮侵攻計画が発覚し、金との関連が云々された。

 明治十九年には後藤象二郎の紹介と思われるが、本因坊秀栄と会うことになった。

 このころの囲碁界は、村瀬秀甫を社長とする方円社と旧時代の権威である本因坊家との対立があった。

 秀栄は十四世本因坊秀和の次男で林家に養子になっていたが、十五世、十六世を継いだ長男秀悦、三男秀元が辞め、秀栄が本因坊家にもどり十七世を継いだ。そのため、秀和の一番弟子だった村瀬秀甫との対立が深まった。

 そんなときに金と秀栄は出会った。

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