烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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松江城

Ca3d0505  Ca3d0506
本丸一ノ門(左)と天守閣(右)

Ca3d0509 Ca3d0508
天守閣内部(左)と天守閣から臨む宍道湖(右)

 松江城は日本国内に現存する江戸時代以前に建てられた天守を有する城12ヶ所の内の一つで通称「千鳥城」という。国の重要文化財であるが地元では国宝へ格上げしようと活動を展開している。

 松江藩の初代藩主は豊臣政権3中老(五大老・五奉行の調整役)の一人堀尾吉晴である。関ヶ原の戦いにおいて息子の忠氏(二代藩主)の戦功により遠江国浜松12万石から出雲・隠岐25万石に加増移封し出雲富田藩となった。政庁は当初、戦国大名尼子氏の時代から難攻不落と言われた「月山富田城」(安来市)であったが山城であり城下町を形成するのに不便であったため松江城を築き1611年に政庁を移し松江藩となった。吉晴公は完成直前に亡くなっている。

 2代藩主忠氏は早世し、その子の忠晴が3代となったが死後、嗣子がなく改易となった。続いて入封してきた京極忠高も3年後に亡くなったが養子を認められず改易。信濃松本藩藩主で徳川家康の孫(結城秀康の三男)である松平直政が入封し以後幕末まで続く事となる。

 なお、堀尾氏から京極氏まで続けて断絶となった事について次のような伝説が生まれた。

 築城に際し天守の石垣が何度も崩れ落ちたため人柱が無いと完成しないという話になり盆踊りを開きその中で最も美しい踊りのうまい娘を連れ去り生き埋めにした。城が完成するまで3人の娘が生き埋めにされたという。その後、城は無事完成したが藩主親子は急死し改易となってしまった。また、城内で盆踊りをすると城が大きく揺れるため盆踊りは禁止となってしまった。この話は明治時代に入り小泉八雲が「松江の七不思議」で紹介している。

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| 江戸時代 | 13:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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