烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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金福寺 与謝蕪村の墓

 金福寺の裏山には芭蕉庵を再建した与謝蕪村とその一門の墓があります。
 「春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉」「菜の花や月は東に日は西に」などの句で知られる江戸時代中期の俳人、画家の与謝蕪村は、享保元年(1716)に摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれ、20歳の頃江戸で夜半亭宋阿(早野巴人)に師事して俳諧を学びます。
 寛保2年(1742)に師匠が没すると同門の砂岡雁宕を頼り下総国結城(茨城県結城市)に滞在。後に敬愛する松尾芭蕉の足跡を辿り東北地方を周遊します。本業は画家で絵を売り資金を稼ぎながらの旅だったそうです。
 その後丹後、讃岐などを巡り、42歳の頃に京都へ居を構え、以後、京都で門人に句を教えながら生涯を過ごしています。明和7年(1770)には夜半亭二世を継承する一方、画家としても活躍し、天明3年(1784)に68歳の生涯を閉じています。遺言により、敬愛する芭蕉にゆかりのある金福寺に葬られました。



 



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与謝蕪村の墓。隣りは高弟の江森月居の墓



 



 呉月渓(呉春)は蕪村の内弟子で画と俳諧を学びます。その後、摂津池田で暮らしていましたが蕪村の死に際して後事を託され京都に移り住んでいます。
 呉景文は呉月渓の弟で、絵を兄から学び、光格天皇より法眼の位を頂き御所の襖絵に多数の名作を残しています。



 



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呉月渓と呉景文の墓



 



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呉景文が建立した呉月渓の碑



 



金福寺:京都府京都市左京区一乗寺才形町20



 

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