烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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伊藤松和

Iwamoto_2
日本橋北内神田両国濱町明細絵図(安政6年、1859)

 中央下に碁打ち伊東(伊藤)松和の名が見られる。

 伊藤松和は1801年~1878年の人。本因坊の門人で阪口仙得、太田雄蔵、安井算知らとともに天保四傑といわれる。

 はじめの名は松次郎。名古屋の商家に生まれ、伊東子元に師事した。子元が亡くなった後、同じ子元門下の門人とともに墓碑をつくった。

 本因坊門に入るきっかけは尾張藩士が才能を見込んだことにある。金銭的な援助を受け十二歳のときに十一世本因坊元丈の門に入る。しばらく名古屋にとどまったが、三十九歳で江戸に出てからは坊門の重鎮となった。四十九歳で七段となり名を松次郎から松和とあらため御城碁に出場。

 天保の末ごろ(1840年代)、神田お玉が池に道場を構えた。それが上の古地図の位置です。

 当時のお玉が池には千葉周作も剣術道場を開いており、剣豪千葉周作も碁好きだったといわれる。もしかすると交流があったのかとも考えたくなる。

Ca3d0575

 江戸時代の古地図と明治の地図、現代の地図をコンピューターにより照合しわりだした。写真はその場所に行ってきたもの。

場所:千代田区岩本町2丁目3-11 明治鋼業ビル
 (同ビルも含めその区画全体が跡地)

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