烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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本因坊烈元の時代の屋敷跡

 本因坊家の屋敷跡といえば本所相生町には何度か行った事があるが、江戸時代何度か場所が変わっている。本所の後、西暦1800年頃の烈元の時代には湯島石坂下にあったと記録がある。江戸時代の地図を見ると上野の湯島天神の隣に坂下町という所があった。現在の地図と比べると心誠院というお寺のあたりだ。

Sakasita1  Sakasita2
旧 坂下町(左)・・・道路の右側、突き当りが男坂の上り口     心誠院(右)

旧 坂下町は湯島天神に上がる「天神男坂(天神石坂)」の上り口から「女坂」の上り口に接した区画である。現在、区画内にある心誠院は元は湯島天神の境内にあったが明治維新の時に神仏混合の禁令により分けられた。

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| 本因坊家 | 20:55 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

No title

 本因坊の屋敷があった場所は正確には湯島石坂下と記録されているようです。
 天神男坂は天神石坂とも呼ばれその下に続く道は天神石坂下通りと呼ばれ上野広小路に向かっていて江戸時代は盛り場として参拝客で賑わっていたそうです。
 今も商店街として飲食店がありますが今よりももっと賑やかな場所に本因坊門下が集まって碁を打っていたのですね。

| taka | 2011/06/07 21:02 | URL | ≫ EDIT















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