烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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薬研彫(算知、仙得、雄蔵の住居)

 両国橋西詰の両国広小路の南側には江戸時代初めから明治30年代まで薬研堀という堀があった。
 この近辺には多くの著名が住んでいた。囲碁界では天保四傑である「九世安井算知」「坂口仙得」「太田雄蔵」が住んでいた。本因坊家のある本所相生町はここから両国橋を渡って徒歩で15分くらいの所にあり、算知は少年時代よく通って腕を磨いていたという。

Yagen1_2 
「日本橋北内神田両国濱町明細絵図」 安政6年(1859)発行

 太田雄蔵邸は、はっきりしないが上記写真の中央上に「太田」という家があり、ここの可能性が高い。しかし、明治以降に発行された江戸時代の地図には算知邸のある通りの左端の空白(山階の隣)にも太田という名前が記入してあり「太田」という人が一時期住んでいたと思われる。

 現在の場所を特定するため明治時代の地図と現在の地図をパソコンで合成した結果、下記の場所である事が判明した。

Yagen2_3   
現在の薬研掘跡付近

Ca3d0007
 安井算知邸跡。

 交差点にあるビル(GI東日本橋ビル)から隣の建築中のビルにかけてが敷地であったと思われる。前の道(写真ビル右側)は当時は無く邸宅南側にあった道はビル南側(写真ビル左側)半分の所を薬研掘まで通っていたと思われる。

Ca3d0003
坂口仙得邸跡。

屋敷跡は前方交差点から駐車中の車の先あたりにかけての道路上である。車のあたりに左右に道があった。

Yagen001
太田雄蔵邸と思われる場所

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