烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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鳥取藩主 池田家墓所1

 鳥取藩初代藩主・池田光仲が元禄6年(1693)に亡くなると、鳥取市郊外の現在の国府町奥谷を廟所に定め埋葬しました。以降11代までの藩主と藩主夫人。支藩当主等の墓碑78基と260を超える灯篭が立ち並んでいます。


 墓所へ行く途中には、江戸時代に参拝者が馬を繋いだ馬立場や番所の跡があります。


 また、墓所の前に芝生の広場があります。ここは江戸時代に墓所を管理していた清源寺があった場所ですが、明治に入り廃寺となり当時を偲ばせるものは井戸跡など僅かしか残っていませんでした。




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馬立場跡(左)と広場(清源寺跡)(右)




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山門(左)と墓所内の様子(右)




 初代鳥取藩主・池田光仲は、以前にも述べましたが徳川家康の曾孫になります。岡山藩主・池田忠雄の長男として生まれ、僅か3歳で家督を継ぎますが幼すぎるという理由で鳥取へ移封となります。


 幼名は勝五郎といいましたが寛永15年(1638)に将軍家光の前で元服し家光の一字を賜り「光仲」と名を改めました。また従四位下侍従に任じられています。


 このように江戸城内の将軍の前で元服の式が行われ、官位と将軍の一字を賜るのは御三家や加賀前田家、薩摩島津家等、僅か15家しかなく鳥取池田家もその一つでした。したがって歴代藩主の名前には必ず元服時の将軍の名前が入っています。




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初代 池田光仲




 池田家墓所の墓碑の特徴として藩主の墓は亀を象った「亀趺」と呼ばれる台石に墓標が乗っていることがあげられます。


 しかし、ただ一つ二代綱清の墓だけ「亀趺」がありません。これは当時が徳川綱吉の時代で「生類憐みの令」に配慮したためと言われています。




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二代 綱清(左)と 三代 吉泰(右)


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四代 宗泰




  鳥取藩主池田家墓所 : 鳥取県鳥取市国府町奥谷

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