烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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慈観寺

Sany0175  Sany0177

 千光寺に上がる前に下の方にあった寺。

 秀策の後援者になった橋本家の菩提寺。

 秀策が帰郷したときここで、兄弟子の岸本左一郎との記念対局をおこなった。


 嘉永三年、秀策は和田金太郎らを連れて帰郷した。西下にあたって、各地で歓迎を受けたり、指導碁を打ったりの旅であった。

 尾道に着くと橋本吉兵衛により岸本左一郎との記念対局が催された。左一郎は本因坊門の塾頭をしていたことあり、秀策の兄弟子にあたる。

 嘉永四年には秀策は信州に行っている。

 松代藩士関山仙太夫に招かれたのである。仙太夫は終世初段を通しが、それは五段を望んだが、いったん三段をと水をさされたため、初段のままで通したといわれている。仙太夫自身は七段を自認していたそうだ。

 このとき仙太夫は六十八歳で、二十三歳の秀策を相手に一日一局、二十日間続けて二十番碁を打った。

 二十番碁は秀策の向先で十三勝七敗となった。最後の対局は秀策が一目勝ちを譲ったといわれている。

 仙太夫は別れ際に「一度先生を招待したくて貯めたものです」金二十両を秀策に渡した。これには秀策も感激したという。

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