烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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原爆下の対局2

「原爆下の対局」が行われた佐伯郡五日市町吉見園(現 佐伯区吉見園)の中国石炭の寮はすでに無く、現在その場所は社長の家族が住んでおられるとの事。吉見園は広電五日市駅の駅前あたりだが民家でもあり今回訪れるのは控えたが、第一局の行われた藤井別邸は現在の平和公園内にあり場所を特定する事が出来た。



Hirosima2_2 Hirosima3_2
 



左の写真は被爆前の中島本町の地図で「藤井商事倉庫」となっているところが藤井商事で、その左斜め後ろの藤井と書かれているところが会場となった別邸である。平和公園内には被爆前の地図が何ヶ所か設置してあるが年代が異なるのかそれぞれ微妙に表記が違っている。「藤井商事」「藤井別邸」とはっきり書かれている地図もあるので探してみて下さい。



 右の写真は現在の平和公園の地図で現在地の付近に中島町の被爆当時の写真が設置されている。藤井別邸跡は現在地の左側、「平和乃観音像」と「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の間にある。



Hirosima4_2

 



上記写真が本因坊戦対局の場であった藤井別邸跡の写真である。敷地跡に休憩所が建っている。ネットで被爆前の中島町の航空写真を見たが目立つ建物で三角の日本的な屋根ではなくビルのような四角い建物であった。



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平和乃観音像(左)と韓国人原爆犠牲者慰霊碑(右)



 
Hirosima7_4



被爆した墓石

 



藤井別邸跡を探すのに参考となるのが上の3枚の写真である。
「平和乃観音像」は中島本町の生存者により1956年に建立され市に寄贈されたもの。



「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は1970年に本川橋西詰に設置されたが平和公園内への移設をという声が高まり1999年に現在の場所へ移設された。



「被爆した墓石」についてだが、藤井商事および藤井別邸は慈仙寺というお寺の境内の墓地に接していた。戦後、お寺が移設した際、墓地も移設されたが原爆の惨状を後世に伝えるために一基だけ残された。広島藩浅野家の御年寄岡本宮内の墓である。藤井商事の裏手(北側)、藤井別邸の東側にあった。



以上の三ヶ所に囲まれたあたりが藤井別邸跡である。



ところで、その後の第三期本因坊戦についてだが、第二局が終わった時点で1対1、しかしこれ以上の広島での対局は無理という事で中止された。11月には第三局以降が再開されたが決着がつかず翌年8月に高野山にて改めて三番勝負が行われ岩本七段が勝った。岩本本因坊(本因坊薫和)の誕生である。


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