烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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遠山金四郎の屋敷跡

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新橋駅の近くには名奉行遠山の金さんで知られる遠山景元(通称:金四郎)の屋敷があった。



景元が北町奉行となった当時(1840)、水野忠邦による天保の改革の最中であり極度な質素倹約の取り締まりを断行する南町奉行鳥居耀蔵と対立し、芝居小屋廃止の動きに対しては浅草猿若町への小屋移転だけで済ませた。この事から芝居関係者が感謝し「遠山の金さん」が上演されるようになった。しかし、鳥居の策略により北町奉行を罷免され閑職の大目付に追いやられる。しかし、二年後には水野と鳥居の対立により鳥居が失脚し南奉行として復権する(1845)。


 同じ人物が北と南の両奉行を歴任するのは異例の事であったという。芝居では名奉行として有名だが名裁きの記録は残っていない。しかし、当時の将軍徳川家慶(12代)に裁きぶりを賞賛されている。一度失脚しても返り咲いたのもこの事があったからだろう。

 また、遠山金四郎といえば桜吹雪の入れ墨が有名だが、実際に入れ墨があったかどうかは分からない。ただ、奉行時代しきりに袖を気にしてめくりあがろうとすると下ろす癖があったという伝聞がある。

 なお、墓は歴代本因坊が眠る巣鴨の本妙寺にある。




遠山景元(金四郎)屋敷跡:東京都港区新橋4丁目24



                 第2東洋海事ビルのあたり。(記念碑なし)





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