烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大久保彦左衛門の屋敷跡

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 杏雲堂病院




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 「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑




 JR御茶ノ水駅近くの杏雲堂病院の植込みに大久保彦左衛門屋敷跡という石碑がありました。


 大久保彦左衛門は徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いでは本陣で槍奉行として活躍しています。


 彦左衛門は通称で本名は大久保忠教といい、一時、大久保長安事件に連座し改易されるという不遇の時期を過ごしますが再び家康の直参旗本として召し出されます。その後、秀忠、家光の三代に仕え、晩年は徳川家と大久保家の歴史を交え武士としての生き方を説く家訓書である「三河物語」を執筆しています。


 彦左衛門といえば「天下のご意見番」として有名で、旗本以下の籠での登城を禁止された事に反発してタライで登城したという話は有名ですが、これは後の世に造られた創作です。これは子孫のために残した「三河物語」で徳川家への忠義を説きながら、武勲を挙げた家臣より、そろばん勘定の得意な文治派が出世する事への不満を綴っていて、この本の写本が市中に出回り人々の共感を得たからのようです。


 とはいえ、実際に多くの浪人を養ったり、死の間際に家光から5000石の加増を打診されたが「余命いくばくもない自分には不要」と断ったりして人々から慕われていたようだ。




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「法政大学発祥の地」の碑と駿河台日本大学病院




 「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑の前の歩道に「法政大学発祥の地」の碑がありました。


発祥の地は杏雲堂病院の隣の駿河台日本大学病院との事です。法政大学の前身である東京法学社が明治13年(1880)に設立された場所です。



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