烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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本因坊丈和が働いていた島屋 「熈代勝覧」

 東京メトロ「三越前」駅地下コンコース(A3出口付近)壁面に、約17メートルにわたる「熈代勝覧」(きだいしょうらん)の複製絵巻が設置されています。
  「熈代勝覧」絵巻とは、文化2年(1805)頃の日本橋から今川橋までの大通りの様子を克明に描いた貴重な絵巻物で、実物はベルリン国立アジア美術館に所蔵されています。



                             





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三越前」駅地下コンコース壁面の「熈代勝覧」複製絵巻



                           



  「熈代勝覧」を見てみると、現在の三越本館と新館の間の交差点から日本橋側へ二件目の黒い壁の店舗の屋号が「嶋屋」となっている事が分かります。
 「島屋」は、埼玉県本庄市の大豪商・戸谷半兵衛の店「中屋」が江戸に出した支店です。
 初代戸谷半兵衛光盛は元禄16年に生まれ呉服店での丁稚奉公を経て呉服や小間物を取り扱う「中屋」を開店します。当時の珍談、奇談をまとめた随筆「耳袋」に登場するほど知名度の高い人物で自費で橋を架け替えたり、浅間山噴火による貧窮者救済を行い名字帯刀を許されます。以降、戸谷家当主は代々「戸谷半兵衛」を名乗りました。
 三代目戸谷半兵衛光寿は文化人としても知られています。俳号を紅蓼庵双烏と称し,俳壇の門下生は関東地方だけでも3~5千人いたと言われています。俳人・小林一茶も門人ではありませんが半兵衛の協力を得ています。



                        



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島屋の様子(黒い壁の店) 。右の路地を挟んで越後屋(三越)がある。



                  



 囲碁界においても戸谷半兵衛光寿の支援を受けた人物がいます。江戸時代に碁聖と呼ばれた一人、十二世本因坊丈和です。
 丈和の出自ははっきりしていません。父親は魚の仲買人で旅に出ることが多かったためで、現在は伊豆という説が有力です。本姓は葛野(かどの)といったと考えられています。
 幼い頃、本因坊家の門人となりますが、突然、本庄で戸谷半兵衛の「中屋」に丁稚奉公に出ます。この時、半兵衛が丈和の才能を見抜き、本因坊家で再び囲碁を学ばせるために江戸の支店「島屋」へ転勤させたといいます。丈和が14歳の頃です。こうして再び本因坊門下となった丈和は頭角を現し、11世本因坊元丈の跡目が次々亡くなった事から、とうとう本因坊家を継承することとなったのです。
 本因坊丈和が公儀に届け出た書類には、姓は戸谷で、戸谷半兵衛の親類となっています。家元継承や、御城碁で活躍するには、それなりの家柄が必要だった時代、戸谷半兵衛のもとで丁稚奉公したのは、丈和の将来性を期待して、家柄を手に入れるためではなかったかという説もあります。本因坊を継承した後も丈和と半兵衛は交流を続けていたそうです。



                 





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島屋(アップ)



                                



 「熈代勝覧」に描かれた「島屋」を見てみると、暖簾に扇のマークがありますが、よく見ると扇の中に「中」の字がデザインされているようにも見えます。確証はありませんが本店「中屋」のマークかもしれません。
 「島屋」のあった場所は「熈代勝覧」を見てみると日本橋室町一丁目、中央通りの三越本館と新館の間にある「一越」か「つづれ屋」のあたりである事がわかります。



                                          





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現在の島屋跡



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