烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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尾形乾山の墓碑

上野寛永寺の根本中堂の境内に尾形乾山の墓(墓碑)があります。乾山は琳派と呼ばれる流派を創設した画家の尾形光琳の弟で寛文3年(1663)に京都で生まれました。画家だけでは無く、書道や茶道にも精通していて、特に陶芸に関しては江戸に出て入谷に窯を持ち、作品は「入谷乾山」と呼ばれていました。
 寛保3年(1743)に81歳で亡くなると下谷坂本の善養寺に葬られますが、永い月日で墓の存在は忘れ去られます。
 文政6年(1823)に光琳の画風を慕う酒井抱一により発見され、顕彰碑「乾山深省蹟」が建立されます。墓と顕彰碑は現在、善養寺が明治末期に巣鴨へ移転したため、そちらにありますが、上野周辺に足跡が亡くなるのを惜しむ人々により複製が建立されたとの事です。当初、鶯谷にあった料亭「伊香保」内にあった美術工芸の親睦団体「国華倶楽部」事務所の庭にありましたが、大正10年に現在地に移転しています。
 なお、オリジナルの墓も取材済みですので後日紹介させていただきます。



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右が墓碑。左が顕彰碑



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