烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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喰違見附~岩倉具視襲撃とのっぺらぼう

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喰違見附跡。S字カーブがかつての名残を留めている。

  
           
 紀尾井坂の坂上から紀伊国坂交差点へ向かう道はかつては江戸城外堀にあった「喰違見附」の跡地である。他の見附は石垣で築かれていたが、ここだけは土塁により造られたクランク状の道で、敵が侵入しにくいようになっていた。江戸城の中で最も高い位置にある門で下にある四谷濠の水面との高低差がかなりあり崖といった感じである。



 明治7年(1874)に、ここで一つの事件が起きた。前年、西郷隆盛達が征韓論争に敗れ下野しそれに不満を持った高知県出身の不平士族9名が話を主導した岩倉具視を襲撃した「喰違の変」である。前年の皇居の火災により、喰違見附の外側にある現在の赤坂御用地が仮の皇居として使われていて、そこからの帰宅途中に襲われたのである。岩倉は眉の下と左腰に軽いけがを負ったが、そのまま四谷濠に転落したため襲撃犯は姿を見失い助かった。犯人は3日後には逮捕され処刑されている。なお、「喰違の変」の4年後には近くの紀尾井坂にて大久保利通が暗殺された「紀尾井坂の変」が発生している。



 喰違見附についてもう一つエピソードがある。小泉八雲「怪談」の中の「むじな」の舞台である。



 江戸時代、赤坂の紀伊国坂あたりは「むじな」が出るという噂で夜は人が寄り付かなかったが、ある夜一人の商人が仕事で遅くなり紀伊国坂の喰違見附付近を歩いていると若い女性がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると振り向いたその顔には目も口も鼻も無いのっぺらぼうであった。



 驚いた商人は必死で坂を駆け下り屋台の蕎麦屋に駆け込んだ。蕎麦屋は「どうしたんですか」と問いかけ事情を説明しようとするがうまく言葉にできない。すると蕎麦屋の主人が「おまえさんが見たのはこれのことかい?」といい見ると主人の顔ものっぺらぼうであり同時に屋台の灯りかフッと消えたという話である。 「むじな」が人を化かしたという話だが「むじな」とはアナグマの事で地方によってはタヌキの事をそう呼ぶらしい。



 紀伊国坂は赤坂見附のあたりから外堀の外側に沿って喰違見附の入口付近まで上がっていた坂で片方は崖のような堀。片方は紀州藩邸(現:赤坂御用地)の塀となり夜は特に寂しい所だったらしい。したがって、このあたりは襲撃犯やお化けが潜むにはもってこいの場所だったようだ。



 

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