烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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徳川綱吉霊廟勅額門

 寛永寺は徳川家康のブレインであった天海により江戸城の鬼門の方向に建てられた徳川将軍家の菩提寺です。歴代将軍は日光へ葬られた家康と家光以外は芝増上寺か上野寛永寺のどちらかに葬られています。
 五代将軍徳川綱吉は、延宝8年(1680)に将軍に就任し宝永6年(1709)に63歳で亡くなります。
 当初は「天和の治」と呼ばれた善政を行いますが、その後、「生類憐みの令」の施行など人々を苦しめる政治も行っています。また、在任中の元禄年間は「元禄文化」と呼ばれる町人文化が花開き、江戸時代最も輝いていた時代でした。
 寛永寺については、綱吉の命により元禄11年(1698)に根本中堂が建立されます。柳沢吉保が普請奉行を務め、資材調達は、紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門が行いました。
 綱吉の廟所は宝永6年に完成しますが、明治に入り一部解体。また戦災で一部焼失しています。勅額門は残された貴重な遺構で重要文化財に指定されています。寛永寺の徳川家廟所は基本的には非公開(団体予約で見学可)ですが、廟所の入口付近にある勅額門だけは何時でも見学ができます。




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 台東区上野桜木1丁目16



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| 江戸時代 | 06:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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