烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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平川門

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 平川門は江戸城の北側にある門で、現在は東御苑に通じる門ですが閉じられていて一般の人は出入りする事は出来ません。門は太田道灌が築城した時には、すでにあったそうです。



 門の位置は江戸城の鬼門にあたり、別名「不浄門」とも呼ばれ江戸城で亡くなった方や罪人を出すために使われたそうです。忠臣蔵の浅野内匠頭や「江島生島事件」の大奥御年寄江島も罪人としてこの門から出ていきました。



 また、大奥に近い事もあり、「御局御門(おつぼねごもん)」とも呼ばれ、大奥女中の通用門としても使用されていました。有名なエピソードとして三代将軍家光の乳母春日局が外出した際、門限をわずかに過ぎたため門を閉じられてしまいました。この時、門番をしていた旗本小栗又一郎は例え誰であっても規則であるため門を開ける事は出来ないと言い、結局、春日局は門前で一夜を明かしました。春日局側は立腹しましたが小栗は御役目を守ったという事で加増されたそうです。ちなみに、又一郎は、幕末に勘定奉行等で活躍し徳川埋蔵金伝説でも有名な小栗上野介の先祖です。



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