烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大岡越前の屋敷跡

 名奉行で知られる大岡越前守忠相は旗本であり6代将軍家宣の時代に伊勢神宮を守護する山田奉行を務め隣接する紀州藩との領地争いを公正に裁いています。

 それが目に留まったのか紀州藩主であった徳川吉宗が将軍となると南町奉行に抜擢され、吉宗の享保の改革を推進するブレインとなっていきます。

 町奉行時代、江戸町火消しの整備や貧しい病人のための養生院である「小石川療養所」の設置等、様々な政策を実施しています。

 町奉行の後は寺社奉行となりましたが、元々寺社奉行は大名の役職であり加増されたとはいえ旗本であった忠相は同役達に虐げられます。しかし吉宗は忠相の功績に応え現在の愛知県岡崎市に西大平藩1万石を創設し忠相を初代藩主とします。西大平藩は幕末まで大岡家が藩主を務めています。

 ところで忠相は囲碁界を救った人物としても知られています。

 今でこそ囲碁と将棋は同列に扱われていますが江戸時代は囲碁が序列の上位と位置付けられていました。ところが、忠相の時代は囲碁界では「暗雲の時代」とも呼ばれている時期でした。本因坊家では六世知伯、七世秀伯、八世伯元と相次いで二十代で没したため囲碁界全体が勢いを失い衰退していきます。一方、将棋は伊藤宗看が二十代で名人になる等、隆盛を極めていました。幕閣にも将棋派が多く宗看は序列を変えようと申し立てを行います。

 しかし、双方を管轄する寺社奉行の忠相は今までどおりという裁定を下します。別に忠相が囲碁好きという事ではなく初代家康の決定した事を変える必要は無いという判断だったようです。いずれにしても、囲碁界は今までの地位を保つことができ、この後、名人察元が出て再び発展していきます。

 忠相の屋敷は現在の霞ヶ関にありました。


Dsc_0335  Dsc_0333



大岡越前守忠相の屋敷跡には東京メトロ霞ヶ関駅のB1a出口にある弁護士会館が建っている。写真の地下鉄入口後ろに写っている建物が弁護士会館。入口に接した垣根の所に屋敷跡の案内板がある。

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