烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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幡随院長兵衛の墓 源空寺

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幡随院長兵衛の墓




 東上野の源空寺の墓所には伊能忠敬や谷文晁の墓と並んで歌舞伎や講談で有名な幡随院長兵衛の墓もあります。
 長兵衛は本名を塚本伊太郎といい町奴の頭領でした。戦国時代末期に「かぶき者」と呼ばれる異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちがいましたが江戸時代に入っても、その流れをくむ人々がいて、町人を「町奴」、旗本たちの息子たちは「旗本奴」と呼ばれ、徒党をくみ人々に迷惑をかけることも度々ありました。
 長兵衛は、そんな町奴のグループを率いる頭領として名を売りますが明暦3年(1657)に、旗本奴との揉め事の手打ちを口実に、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門に呼び出され殺害されます。
 この事件を題材に、明治に入り「極付幡随長兵衛」という歌舞伎の演目が作られています。物語では長兵衛は水野の誘いを罠と知りつつ、断れば臆病者と言われるため名誉を守るため出向いたされています。
 ちなみに、幡随院長兵衛が殺された旗本水野邸は以前紹介したが現在、新宿区袋町の光照寺前にある「日本出版クラブ会館」になっています。水野は長兵衛を殺害したことでは処分されませんでしたが、数年後に行跡怠慢を理由に切腹となっています。屋敷跡は後に「新暦調御用所(天文台)」となったそうです。



                



源空寺:台東区東上野6-19-2



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