烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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久世大和守広周の墓

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歴代関宿藩主の墓所



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久世大和守広周の墓
        

                   

 歴代本因坊の眠る巣鴨の本妙寺には、もう一人、江戸時代の囲碁界と大きく関わりを持った人物がいます。下総国関宿藩の第七代藩主・久世大和守広周です。
 広周は旗本・大草髙好の次男で文政13年(1830)に第6代関宿藩主・久世広運(ひろたか)の末期養子として家督を継ぎます。天保14年(1843) には寺社奉行に就任し、囲碁界との関わりを強めていきます。
 嘉永4年(1851)には老中に就任し阿部正弘らと共に諸外国との折衝に当たりますが、「安政の大獄」で井伊直弼の方針に反対し罷免させられます。万延元年(1860)に「桜田門外の変」で直弼が暗殺されると、安藤信正の推挙を受けて老中に再就任。公武合体政策を推進しますが文久2年(1862)、信正が「坂下門外の変」により老中を罷免されると広周も連座して老中を罷免されて失脚。元治元年(1864)に失意のうちに死去。享年46歳でした。
 そして、広周と囲碁界の関わりですが、旗本太田運八郎の近習、松本錦四郎は、17歳の頃に太田が山田奉行在任中に、遊歴中の本因坊秀和と三子で勝利します。江戸に戻ってから久世大和守広周の紹介により林家の門人となり、さらに実力をつけていきます。
 嘉永3年(1850)に十二世井上節山因碩が門人を斬り殺す事件により退隠しますが、後継者とされていた服部正徹が遊歴中であったことから、老中であった久世大和守広周により松本錦四郎が急遽井上家を継ぎ、十三世井上因碩となりました。井上家に後継者がいながら林家から当主を受け入れた訳ですが家名断絶の危機でしたから実力者へは逆らえなかったのでしょう。井上松本因碩は幕末・明治と激動の囲碁界の中で重鎮として大きく関わっていくことになります。
                 



本妙寺:豊島区巣鴨五丁目35番6

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