烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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丈和の妻がお百度を踏んだ浅草寺

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本堂(左)と五重塔(右)

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宝蔵門



 向島の三囲神社に行った帰りに浅草の浅草寺に寄ってみました。といっても、つくばエクスプレスの浅草駅に行こうと思って横切っただけですので雷門は通らず、いきなり本堂に参拝しました。



 浅草寺は東京の有名な観光名所ですが、推古天皇36年(628)に創建されたという東京都内で最も古い寺院です。江戸時代に入り徳川家康が祈祷所と定め将軍家の保護を受け、表参道には商店が建ち並び、境内では大道芸が行われる等、庶民の娯楽の場としても発展しました。



 囲碁に関していえば、こんな話があります。天保6年(1835)に老中松平周防守宅で行われた碁会の本因坊丈和と赤星因徹の対局は、「天保の内訌」と呼ばれる策略により争碁を行うことなく名人碁所となった丈和と、その座から引きずり降ろそうともくろむ井上幻庵因碩を中心とした他の家元に送り込まれた幻庵の愛弟子・因徹との壮絶な対局となり、丈和は当初劣勢でしたが「丈和の三妙手」により逆転勝ちします。因徹は投了直後に血を吐き二ヶ月後に亡くなったため「吐血の局」として語り継がれていますが、この影で幻庵は某寺で護摩を焚かせていましたが丈和の力が神仏の力を上回っていたため反動で因徹が亡くなったと噂されました。一方、丈和の妻は夫の勝利を願い浅草寺でお百度を踏んでいたと伝えられています。

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