烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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囲碁界の新しい波「方円社」発祥の地は秋葉原

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旧東京神田・花田町跡(ソフマップ秋葉原本店付近 千代田区外神田4-1-1)

数件先にはAKB劇場で有名なドンキホーテがあります。



 私が発行している囲碁の歴史を紹介した雑誌「囲碁人」8号(今月発行)で方円社を中心とした明治期の囲碁界の様子を特集します。今日はその中で取り上げる話を少し紹介します。

 明治に入り幕府という後ろ立てを無くした囲碁界では棋士の力を発揮する場所が求められていました。そんな中、当時の第一人者であった村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)や中川亀三郎らが中心となって囲碁研究会「方円社」を立ち上げます。明治12年(1879)4月20日の事で発会式は各家元の当主クラスも参加し神田区花田町の「相生亭」で行われたと記録されています。

 「相生亭」については詳しい情報はありませんが、花田町は区域が意外と狭く場所を特定する事が出来ました。現在の千代田区外神田になり、秋葉原駅近くの「ソフマップ秋葉原本店」から道路を挟んだ愛三ビルにかけてがその区域になります。現在も世界に向けて新しい文化を発信し続けている秋葉原で明治期に囲碁界でも新しい波が起こったかとおもうと感慨深いものがあります。

 研究会は何度か行われましたが、実力第一主義で家元の格式を認めない運営方針に家元側が反発し僅か五ヶ月ほどで脱退し「方円社」社員の段位をはく奪するという行動に出ます。

(同年に先代の病のため急遽当主を継承した本因坊秀元に対してまだ段位が低かったため席次を低くしたり、他の家元へのお茶出しをさせたりしたそうです。)

 この後、秀甫は方円社を再組織し社長として運営していきますが、以降、関東大震災を機に日本棋院が設立され再統合されるまで、囲碁界は方円社と家元側との対立を中心に離合集散を繰り返すこととなります。



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