烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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九代将軍 徳川家重の墓

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徳川家重の墓



 芝増上寺の徳川家霊廟に九代将軍 徳川家重の墓があります。家重は徳川幕府中興の祖と呼ばれる八代将軍吉宗の長男ですが、あまり語られる事はありませんでした。それは、軽度の脳性麻痺を患っていたためと考えられています。
 家重の話す言葉は不明瞭で、唯一内容が理解できたのは側近の大岡忠光のみであったそうです。そのような状態だったため廃嫡しようという動きがありましたが、初代家康を敬愛し、その政策を継承しようとしていた吉宗は家康が家光を三代目としたように将軍の長子相続にこだわり延享2年(1745)に将軍職を家重へ譲りました。これは、家重の長男の家治が聡明で将来を期待されたためとも言われ、自ら大御所として政治の実権を握ったままで、孫の家治に英才教育をほどこします。
 また、吉宗は五代綱吉以降、将軍継承がスムーズにいかなく、将軍在任中には尾張の徳川宗春との対立があり御三家に対する不振もあったのか、家重の息子や兄弟により御三卿を興し後継問題の安定を図りました。
 一方、家重については後年様々な評価があります。物事を考えるのも大変な状態だったといわれる一方、囲碁の解説書を著していますし、言葉がうまく話せないが思考はしっかりしていたともいわれています。田沼意次など、有能な人材が登用されたのも家重の時で、人を見る眼にすぐれていたとも言われますが病気への偏見が強い時代でもあり真相は謎につつまれています。



 

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