烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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12代将軍 徳川家慶の墓

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徳川家慶の墓
        
    
    
 芝増上寺の徳川家霊廟にある徳川家慶の墓です。家慶は11代将軍家斉の次男で生まれてまもなく長男が死亡したため将軍継嗣となります。しかし将軍となったのは天保8年(1837)で45歳になってからです。これは、父家斉が歴代将軍最長の50年間将軍職に就いたためで将軍就任後も家斉が大御所として実権を握ったままでした。このため家慶は何を聞かれても「そうせい」と答えるしかなく「そうせい様」と呼ばれていたといいます。しかし、将軍就任の四年後に家斉が死亡すると父の寵臣達を粛清し自らの政治を開始します。父、家斉は就任当初は松平定信を登用し寛政の改革を行いますが、厳しすぎる定信を次第に疎ましく思い罷免した後は浪費を繰り返したため幕府の財政は困窮していました。大塩平八郎の乱が勃発したのも将軍就任当時の事でした。
 そこで、水野忠邦を重用し天保の改革を行ない幕政改革に乗り出したのです。しかし、天保の改革は厳しすぎる取締りが人々の支持を得る事ができず忠邦は失脚します。忠邦の後に老中阿部正弘が実権を握りますが、この次期にアメリカよりベリーが来航し日本中を揺るがします。
 このように、家慶の時代は幕府の弱体化と外国の脅威により幕末に突入する激動の時代だったのです。



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