烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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将軍家茂と和宮の墓

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14代将軍徳川家茂の墓(左)と正室の皇女和宮の墓(右)



 芝増上寺の徳川家霊廟には14代将軍徳川家茂と正室である皇女和宮の墓が並んで建っています。


 家茂は紀州藩11代徳川斉順の二男として弘化3年(1846)に赤坂の藩邸で生まれます。叔父の12代徳川斉彊の死去により、僅か4歳で紀州家13代藩主に就任しています。その後、徳川宗家では13代将軍家定に継嗣がいなかったため後継候補として家茂を推す井伊直弼を筆頭とした南紀派と一橋慶喜を推す父、水戸斉昭を中心とする一橋派の対立が激化しますが、大老井伊直弼による安政の大獄により一橋派は粛清され14代将軍家茂が誕生します。


 家茂は、文武両道に優れ、大変な人格者であり幕臣の信望も厚かったといいます。勝海舟を見出したのも家茂で、勝は後に家茂について「もし長生きしていたら名君として名を残していたかもしれない。家茂さまの死によって徳川幕府は滅んだ。」と語り涙ぐんだと言われています。


 一方、皇女和宮は、時の孝明天皇の妹で公武合体の政策による政略結婚で家茂へ嫁ぎました。しかし、夫婦仲は大変良かったといいます。


 囲碁に関していえば、家茂もかなり囲碁好きだったようで幕末の混乱により中止されていた御城碁を復活させ、230年あまり続いた御城碁の最後の対局が行われました。


 家茂は、第二次長州征伐の最中、慶応2年(1866)に大阪で病により21歳の若さで亡くなっています。



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| 幕末・明治維新 | 22:21 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

No title

お気の毒に、徳川家茂と和宮は随分苦労されたように思います。いつかお二人のお墓参りをしたいと思っています。

| 菅原和士 | 2012/06/25 15:01 | URL | ≫ EDIT















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