烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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今川義元公墓所 大聖寺

 牛久保駅の近くにある大聖寺は戦国大名・今川義元の胴塚のある寺として知られています。
                 
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大聖寺山門
                
 戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名、今川義元は三河や尾張の一部にまで勢力を拡大し天下統一も間近と考えられていましたが、尾張に侵攻した永禄3年(1560)に桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受けて討死します。
 家臣達が首のない遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓石の代わりとしました。
 嫡子氏真は父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領を安堵しています。
               
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今川義元公の胴塚
                   
 大聖寺は室町時代は一色城の一部であったと考えられています。一色城を築城した一色刑部少輔時家は関東公方足利持氏に仕える足利一門の武将でしたが、足利持氏関東管領上杉憲実が対立し室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた永享の乱」で持氏軍として戦い敗走。、同族の一色氏を頼り三河国へやってきます。
 そして、永享11年(1439)に一色城を築城し、ここを本拠地に勢力拡大を図りますが、文明9年(1477)に家臣の波多野全慶の謀反により殺害されました。大聖寺境内の今川義元公の墓の隣りに時家の墓があります。
 ところで、時家を殺害した波多野全慶は16年後、同じく時家の家臣であった牧野古白に討たれ古白が新城主となります。牧野古白はその後、吉田城を築城し、そちらに拠点を移しています。
                                
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一色刑部少輔時家の墓
             



大聖寺 : 豊川市牛久保町岸組66   Googleマップ



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