烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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山本勘助の墓 長谷寺

 山本勘助は武田信玄に仕えた天才軍師で「甲陽軍鑑」には,独眼で片足が不自由であったと記されています。
 生まれた場所には諸説ありますが三河牛窪(愛知県豊川市)の出身で,天文12年(1543)に板垣信方の推挙によって信玄に仕えるようになり,足軽大将を務めています。永禄4年(1561)の「川中島の合戦」で,作戦を指揮して失敗した責任を取って討ち死にしたといわれています。
 「甲陽軍鑑」に登場し浄瑠璃や歌舞伎で「川中島合戦」の,軍師として取り上げられたため広く知られた人物でしたが、謎の多い人物で実在していたかも長い間疑問視されてきました。しかし、近年、古文書で信玄が奥信濃の土豪市河藤若に宛てた書状から「山本菅助」という名前が発見され実在説が有力になってきました。ただし、この人物が「甲陽軍鑑」の山本勘助と同一人物であるという証拠はありません。
 牛久保町寺町の長谷寺には山本勘助の墓があります。この寺の念宗和尚と勘助と親交があり、信玄に召し抱えられたときに遺髪を和尚に託したそうです。川中島の合戦で勘助が戦死すると、和尚がその死を悼み遺髪を埋めて墓を建立したそうです。また、長谷寺には、勘助の守護神であったとされる木造摩利支天尊像も安置されています。
                 



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本堂
           
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入口にある勘助の碑
                
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山本勘助の墓
             
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境内にある木造摩利支天尊像の説明板
                    
愛知県豊川市牛久保町八幡口97  Googleマップ



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