烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

頭山満と囲碁(青山霊園)

Dsc_0718
頭山満の墓
               
                
 青山霊園にある頭山満の墓にお参りしてきました。名前をご存知無い方もあると思いますが明治から昭和初期にかけて活躍した右翼の巨頭です。安政2年に福岡藩士の息子として生まれ、明治9年に発生した秋月の乱、萩の乱では福岡藩士を蜂起させようとして投獄されます。結果、翌年発生した西南戦争には参加できませんでした。
 この後、板垣退助らによる自由民権運動に参加し、結社「玄洋社」を設立します。「玄洋社」は欧米諸国のアジア植民地化政策に対抗しアジア諸国の独立を画策するアジア主義を主張しています。日清・日露戦争や第一次・第二次世界大戦において情報収集や海外工作活動で暗躍します。一方、明治22年には玄洋社社員が黒田清隆内閣の外務大臣であった大隈重信を不平等条約改定内容に反対して爆殺しようとする事件をおこします。大隈はこの事件で右足を切断する大怪我をし辞職しました。このように頭山は軍および政財界に大変な影響力を持つ大物フィクサーとして活躍していました。
 また、アジア主義のもとに、李氏朝鮮で清からの独立を目指してクーデター(甲申事件)を起こした金玉均。清を滅亡させ中華民国を建国した革命家・孫文および蒋介石はいずれも日本に亡命していましたが、皆、頭山の支援を受けていました。孫文は亡命中は霊南坂の頭山邸の一角(隣)に住んでいたそうです。
 頭山の趣味は「頭山といえば囲碁」といわれるくらい囲碁が好きだったそうです。自身の棋力も相当なものだったそうですが見るのが好きといい、幾度も碁会を主催しています。本因坊秀栄を初めとする有力な棋士たちを支援した明治以降の有力な後援者でした。女流棋士の草分けであった喜多文子(林文子)は結婚を期に囲碁界を離れていましたが、十数年ぶりに復帰しようと決意します。その話を聞いた頭山は、文子のかつての先輩であり当時最高実力者であった本因坊秀哉を動かし霊南坂の邸宅で毎週対局の場を設けます。文子は段々と棋力を取り戻し囲碁界への完全復帰を果たしました。
 このように、囲碁界にも多大な貢献をした頭山は、晩年は囲碁三昧の日々をすごしていたそうです。昭和19年に89歳で亡くなりますが、倒れたのは居室で碁盤にむかっていた時だそうです。
              
 墓所の場所:青山霊園 1ロ8 1~14
スポンサーサイト

| 囲碁史あれこれ | 14:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://igoshi.blog.fc2.com/tb.php/616-e25e1cd3

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。