烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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黒田長知と囲碁(青山霊園)

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黒田長知の墓
      
          
         
 黒田長知は筑前福岡藩の最後の藩主です。
 天保9年(1839)に藤堂高虎の子孫である伊勢津藩主・藤堂高猷の三男として生まれ、黒田長政を初代とする福岡藩黒田家藩主・黒田長溥の娘と結婚し婿養子となります。
 幕府と長州が対立するなか、長知は親長州派として禁門の変で苦境にたたされた長州の赦免を働きかける等しています。明治2年に藩主に就任しましたが、数ヵ月後に版籍奉還により初代福岡藩知事となります。しかし2年後に藩における太政官札(新政府の政府紙幣)偽札偽造事件により罷免され、以降、東京で暮らしています。
 黒田長知は囲碁界との関わりが深かったようで邸宅では度々、棋士の対局が行われ田村保寿(後の本因坊秀哉)と岩佐銈(後の方円社社長)の棋譜等が残されています。
 また、対局で出入りしていた女流棋士・林文子(家元林家の親類・林佐野の養女)は、同じく出入りしていた、能楽師・喜多六平太と結婚しました。二人を結びつけたのが長知だったのです。
 また、本因坊門で囲碁の天才と騒がれながら若くして亡くなった中山善吉の碑が三囲神社に建立された際は碑の題額を書いています。
 明治35年に65歳で無くなり青山霊園に葬られました。
     
 墓所:青山霊園 1-イ4-13~17(一画は黒田家の墓所となっていて先代の墓もあります。)
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