烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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日本棋院初代総裁・牧野伸顕の墓(青山霊園)

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牧野伸顕の墓
                           


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墓の隣にある碑。義理の息子となる吉田茂によるもの。
                  
                  
                      
 青山霊園に、日本棋院初代総裁・牧野伸顕の墓があります。
 文久元年(1861)に大久保利通の二男として鹿児島で生まれ、1歳のときに遠縁の牧野家へ養子に出されます。
 明治4年に行われた岩倉使節団で、11歳にして父。利通に同行しアメリカへ留学しています。
 その後、外務省へ入省し各国の大使を歴任。明治39年に第一次西園寺内閣で文部大臣となり、外務大臣、農商務大臣等を歴任しました。
 大正10年には宮内大臣に就任し昭和天皇の絶大な信頼を得て、第二次世界大戦中も度々、宮中に召し出され意見具申しています。
 昭和21年に戦後、初めて実施された衆議院総選挙で自由党が勝利し鳩山一郎総裁が首相に就任する予定でしたがGHQにより公職追放されます。この時に後継として伸顕が推される動きがありましたが高齢を理由に政界へは復帰しませんでした。
 代わりに自由党総裁、そして内閣総理大臣に就任した吉田茂は牧野伸顕の娘婿です。吉田はこのとき度々伸顕に相談していたそうです。
 牧野伸顕は大正12年に設立された日本棋院の初代総裁に就任しています。
 囲碁界では明治以降、家元側と方円社による対立が繰り返されてきました。しかし、関東大震災を機に合同の機運が高まり、ついに日本棋院が設立されました。
 日本棋院では過去の対立の歴史を踏まえ、代表者は棋士以外から選ぶ事としました。そして選ばれたのが伸顕だったのです。自身が政界の実力者であったことが理由でしょうが、父である大久保利通は囲碁界の有力な後援者であった事や、跡を継いだのが徳川綱吉の側用人を務め、本因坊門下でもあった大名・牧野成貞の家系であると言われ、囲碁界と繋がりが深い人物であった事は間違いありません。
 また、伸顕は囲碁以外にもシャーロックホームズの熱烈なファンであるシャーロキアンとしても有名です。
 昭和24年に87歳で死去。青山霊園へ葬られました。青山霊園には父である大久保利通。娘婿の吉田茂も眠っています。
       
  墓の場所: 青山霊園 1-ロ12-1~6
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| 日本棋院 | 06:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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