烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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犬養毅と囲碁(青山霊園)

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犬養毅の墓
                 
                   
 青山霊園には第29代内閣総理大臣・犬養毅の墓があります。
 犬養毅は岡山県出身で慶応義塾に入学後、郵便報知新聞(現スポーツ報知)の新聞記者として西南戦争にも従軍しています。
 後に、大隈重信が結党した「立憲改進党」に入党し、明治23年(1890)に実施された第一回衆議院総選挙で当選し国会議員となりました。
 その後、文部大臣や逓信大臣等に就任しますが、初期の政党政治は離合集散の繰り返しで(結局今も変わっていませんが)犬養は少数政党の党首として苦労します。
 右翼の巨頭・頭山満は盟友であり供にアジア主義者として名を知られます。朝鮮の政治家・金玉均や中国の革命家・孫文、蒋介石らが日本に亡命したときも頭山らと供に支援しています。
 また、囲碁が趣味で本因坊秀栄とも親交があり有力な後援者の一人だったそうです。頭山満、金玉均は囲碁の愛好家としても知られていますので囲碁を通して互いの繋がりを深めていったのかもしれません。
 昭和4年には周りに推されて野党第一党「立憲政友会」の総裁となりますが、当時の日本は昭和金融恐慌による不景気と満州事変による世情不安に見舞われ当時の若槻内閣は政権運営に行き詰まり総辞職します。
 犬養は野党第一党総裁であり、満州事変の対応について中華民国との話合いによる解決を主張していた事が評価され内閣総理大臣に指名されます。組閣の大命が下ると、ただちに解散総選挙を行い国民の信任を得ると、元総理大臣の高橋是清を大蔵大臣に起用し、日本経済の回復に成功します。
 一方、満州事変への対応は中華民国との独自のパイプを駆使して話し合いを進めますが、満州国の承認を迫る軍との対立が深まり、昭和7年5月15日に発生した軍部のクーデター「五・一五事件」により暗殺されてしまいました。亡くなる前にピストルを発砲した兵士たちに向かって「話せば分かる」と語った事は有名です。
 犬養の死により、政治家やマスコミは報復を怖れ軍を批判する事を避けるようになります。やがて、日本は軍主導により戦争への道を進む事になったのでした。
         
 墓の場所:青山霊園 1-ロ8-1~14

 
 
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