烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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喜多文子(林文子)の父、司馬凌海(青山霊園)

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司馬遼海の墓
             
         
 大正13年の日本棋院設立に大きな役割を果たし、その後も女流棋士の育成に努めた女流棋士の草分けである喜多文子(旧姓・林文子)の実父で医学者であり語学者であった司馬凌海の墓が青山霊園にあります。
 遼海は天保10年(1839)に佐渡で生まれ、11歳で江戸へ出て漢学等を学びます。その後、奥医師・松本良順に師事し医学とオランダ語を学んでいます。語学の天才と呼ばれ英語やドイツ語など6カ国語に通じていたそうです。
 医学にも通じていたことから外国の医学書から日本語に無かった医学用語を和訳しています。蛋白質(タンパク質)、十二指腸、窒素などが凌海が訳した言葉だそうです。
 凌海は大学教授などを務めますが、明治12年に肺結核で40歳の生涯を閉じます。凌海の死により家族は故郷の佐渡に帰ることになりますが、次女の文子は3歳と幼く虚弱であったため長旅には耐えられないとして養女にだされます。養女に引き取ったのは、囲碁の家元・林家の親戚で女流棋士の林佐野でした。凌海と顔なじみであったため夫人が頼み込んだそうです。
 運命とは分からないもので、こうして文子は囲碁界に身を置くことになり、日本棋院設立にも大きく関わることとなるのです。
 凌海の墓は司馬家代々の墓であり、長男でドイツ語学者の司馬亨太郎も葬られています。

  司馬凌海墓所の場所:青山霊園 1-イ6-4
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| 林家 | 06:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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