烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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渡辺崋山の生誕地

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「三宅坂小公園」 石段を上ったところに崋山生誕地の案内板がある。 

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渡辺崋山誕生地の案内板

 渡辺崋山は江戸時代後期の有名な画家であり、三河国田原藩の家老を務め、蘭学者という一面も持った人物でした。

 三河国田原藩士の息子として寛政5年(1793)に江戸麹町の藩邸で生まれた崋山は幼い頃、貧困に苦しみますが谷文晁に師事し画家としての才能を開花し、絵を売って生計を立てます。その後、昌平坂学問所で儒学も学びます。

 やがて、藩内で頭角をあらわし家老にまで出世した崋山は藩政改革に乗り出し天保の大飢饉のとき藩内から一人も死者を出さず、幕府から全国でただ一人表彰されました。

 蘭学にも精通し仙台藩の高野長英らと親交を結び、飢饉への対応や海防問題について話合っています。当時、アメリカの商船が日本人の漂流民を送り届けるために日本へやってきましたが、異国船打払令により日本側は砲撃し漂流民も受け取らないという事件が発生し、崋山らはこの対応を厳しく非難します。

 しかし、幕府は彼らを弾圧し(蛮社の獄)、崋山は国許で蟄居を命じられます。国許で謹慎中に絵を売って生計を立てましたが、この行為を幕府が問題視しているという話が広まり(反崋山派の陰謀という説もあり)、藩への影響を恐れた崋山は天保12年(1841)に切腹しました。

 田原藩邸跡には渡辺崋山生誕地の案内板があります。場所は最高裁判所角である三宅坂交差点にある「三宅坂小公園」です。


 場所:千代田区隼町4

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