烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

大通寺 盃井戸

 長篠城跡の近くにある大通寺の裏山には天正3年(1575)の長篠の戦いにおいて、武田四天王の一人、馬場信房の陣があった場所です。
 長篠の戦いでは長篠城を攻略するため武田軍は城を包囲していましたが、織田・徳川連合軍が援軍として到着すると、その対応のため武田勝頼の本陣・医王寺にて軍議が行われます。軍議では重臣達は撤退を進言しますが、勝頼 は聞き入れず 明日の決戦を決定します。諸将はそれぞれの陣地へ戻りますが、馬場信房 は決戦回避を主張した同志の内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次 らを大通山に招き、軍議の結果を嘆きます。そして明日の戦いでの死を覚悟し、泉の水を沸かして訣別の水盃を交わしました。盃井戸と呼ばれている井戸は大通寺本堂の裏手にあります。また、大通寺山陣地跡は、盃井戸の横から墓地の中を進み、裏山を登って行った所にありますが、今回は時間都合のため陣地跡へは行けませんでした。
                          
Imag1676
大通寺入口
           
Imag1680
大通寺盃井戸
          
Imag1682
大通寺盃井碑
                 
愛知県新城市長篠字51  Googleマップ



    

スポンサーサイト

| 戦国時代 | 05:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://igoshi.blog.fc2.com/tb.php/571-1c8c0798

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。