烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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新城城 家康と算砂の出会い



 新城市の新城小学校は、かつて奥平信昌の居城「新城城」のあった場所です。「新城城」は新城市の語源となった城です。
 天正3年(1575)の長篠の戦いにて長篠城を死守した奧平信昌は、戦後、家康の命により長篠城を廃して伊那街道の押さえの要地に「新城城」を築城します。築城にあたり長篠城の大手門を移築するなどしたそうです。奥平信昌は天正18年(1590)に家康の関東移封に伴い、上野国宮崎に三万石で移り、その後の新城城は池田輝政の所領などを経て江戸時代には天領となり、
慶安元年(1648)に丹波亀山より菅沼定実が新城に7千石を領し陣所を置き明治を迎えます。
 ところで、「新城城」を築城した奥平信昌は囲碁をたしなみ本因坊算砂の弟子であったと伝えられています。家康は信昌に娘の亀姫を嫁がせ義父となっていますが、家康が駿府に新しい城を築造した翌年の天正15年(1587)に信昌は城を訪れています。この時、算砂は信昌に同行し初めて家康と対面しています。
 家康はもともと囲碁は好きではなかったと言われていますが、この出会いにより囲碁に傾倒していき、後の江戸幕府による支援へと繋がっていったのです。
 家康と算砂を引き合わせた奥平信昌は囲碁界発展へ大きく寄与した陰の功労者とも言えるのです。



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新城小学校校門(かつての門を再現)
          
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新城の地名発祥の地碑
             
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新城城跡の碑
                 
愛知県新城市西入船76  Googleマップ

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