烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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三浦按針屋敷跡

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三浦按針屋敷跡の碑
            
                
 イギリス人航海士ウィリアム・アダムスは極東との交易を目指すオランダ商船の航海士でしたが、1600年に乗船していたリーフデ号が漂流し日本へ漂着します。
 当時の西洋ではイギリス・オランダの新教国(プロテスタント)とスペイン・ポルトガル等の旧教国(カトリック)が対立していたため日本で布教活動をしていたイエズス会は、彼らを海賊として処刑するように日本へ要求します。
 当時の日本は二年前に豊臣秀吉が亡くなり、五大老首座である徳川家康が実権を掌握し始めている時期で、対応を任された家康は、アダムスと接見し誤解を解き、イエズス会の要求を黙殺します。
 家康はアダムスを江戸に招き、俸禄を与え外国使節団との交渉時の通訳や助言を求めたりしました。
 アダムスは、船大工の経験もあり、西洋式の大型帆船の建造も行いました。家康は、この功績に対しアダムスを旗本として取立て相模国辺見(現在の横須賀)へ領地を与えます。そして「三浦按針」という日本名を与えました。三浦は領地の三浦半島からとり、按針は水先案内人の意味だそうです。
 家康から絶大な信頼を得ていた按針ですが、家康の死後、江戸幕府は鎖国体制をとったため秀忠、家光からは警戒され不遇な立場のまま1620年に57歳で亡くなりました。
 中央区日本橋室町には按針が住んでいた屋敷跡の碑があります。また、昭和初期までこのあたりは按針町と呼ばれていたそうです。



 三浦按針屋敷跡  中央区日本橋室町1-10



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