烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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犬養毅像 吉備津神社

 岡山県岡山市北区の吉備津神社の駐車場付近に巨大な銅像があったので近くに行って見ると、それは第29代内閣総理大臣・犬養毅の銅像でした。
 犬養毅は安政2年(1855)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在、岡山市北区川入)に大庄屋・郡奉行を務めた犬養源左衛門の次男として生まれます。
 先祖は吉備津神社主祭神の吉備津彦命の家来であった犬飼健命であると言われています。
 犬養毅は慶應義塾に在学中の明治10年に西南戦争が起こると郵便報知新聞の記者として従軍。その後、政治運動に参加し、明治23年、36歳で第1回衆議院議員総選挙に当選します。
 立憲国民党、革新倶楽部等を組織し「憲政の神」と称され、文部大臣、逓信大臣を歴任しますが、小政党を率いることに限界を感じて政界引退を決意。富士見高原の山荘に引きこもってしまいます。しかし、これを認めない岡山の支持者たちは勝手に犬養を立候補させ当選させ続けたそうです。
 昭和4年、野党勢力が合併して誕生した政友会は総裁の田中義一が亡くなり後継を巡って分裂の危機を迎えたため嫌がる犬養を説得し総裁に担ぎ出します。そして昭和6年に満州事変を巡って第2次若槻内閣が総辞職すると、慣例に従い野党第一党党首の犬養が総理大臣に就任しました。
 犬養は総理就任後直ちに解散・総選挙を行い国民の支持を取り付けると、元総理大臣の高橋是清を蔵相に起用して経済不況の打開に取り組み日本経済の回復に成功します。
 一方、外交では満州国の承認を迫る軍部の要求を拒否。中国国民党への独自のパイプを使い外交交渉を行なっています。
 しかし、昭和7年(1932)に海軍将校たちが起こした「5・15事件」により官邸にて暗殺されます。享年78才。殺される前に「話せば分かる」と言ったという話は有名です。



Imag4565

犬養毅像



 犬養毅像の隣りに江戸時代後期の国学者・藤井高尚の碑がありました。藤井高尚は本居宣長の高弟で中国・四国地方に多くの門人を抱えていたそうです。天保12年(1841)に77歳で亡くなっています。



             
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藤井高尚の碑





岡山県岡山市北区吉備津931



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