烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)

 愛知県の旅では岡崎市の次は名古屋市方面へ移動しました。織田信長が今川義元を討取った「桶狭間の戦い」が行われた、おけはざま山は名古屋市緑区から豊明市に跨る地域にありました。
 永禄3年(1560)、尾張攻略のために2万5千もの軍勢で侵攻した今川義元は、休息のためにおけはざま山に陣を張ります。劣勢であった織田信長は僅かな手勢で山のふもとに潜み、突然の豪雨で今川軍が混乱する中を急襲して、見事、義元を討取ったのでした。
 この時、義元は本陣から下り、田楽狭間(田楽坪)と言われる場所で亡くなったと記録にありますが、その場所の候補地が名古屋市緑区と豊明市の二か所にあります。それぞれ理由もあり行政区も違うことから一か所に絞り込むことは困難なのでしょう。両方とも公園として整備されています。



Imag1847
桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)



 まず、名古屋市緑区にある「桶狭間古戦場公園」へ行って見ました。
 現在の公園は土地区画整備事業により周辺にあった石碑などを集めて造られたものです。昭和時代初期に、ここを流れていた鞍流瀬川の川底から文化13年の日付が刻まれた「桶狭間古戦場の碑」が引き上げられます。また、昭和28年には「駿公墓碣」という墓石が発掘され義元が亡くなった場所としての根拠となっています。



Imag1849
織田信長と今川義元の像



 公園入口に「桶狭間古戦場田楽坪」の碑があります。昭和8年に建立された石碑ですが、揮毫を行った大日本帝国陸軍大将・松井石根は、今川方の先鋒として布陣し戦死した部将・松井宗信の子孫だそうです。




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「桶狭間古戦場田楽坪の碑」(左)と「桶狭間古戦場の碑」(中)

 園内には当時の桶狭間や周辺の城の配置がジオラマとして再現されていて、当時を偲ぶことが出来ます。



Imag1848
桶狭間周辺のジオラマ



名古屋市緑区桶狭間北3丁目 地図



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