烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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新撰組局長 近藤勇の墓所1

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板橋駅東口とその斜め前にある近藤勇の墓所




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墓所の看板(左)と近藤・土方の墓(中)、近藤の埋葬当初の墓石(右)




 板橋駅前に新撰組局長の近藤勇の墓があります。


 京都の鳥羽伏見の戦いに敗れた新撰組は、幕府軍艦にて江戸に戻り隊を「甲陽鎮撫隊」に再編し甲府城を目指します。この時、近藤は大久保大和守剛と名を改めました。


 しかし、途中に官軍と戦となり敗退した近藤は越谷の政府軍本営に出頭します。当初、大久保と名乗っていましたが、顔を知っている者がいて、新撰組の近藤であることがばれてしまいます。身柄は政府軍の総督府が置かれていた板橋宿に移送され、板橋刑場にて斬首されました。


 処刑された近藤の首は京都の三条河原で晒し首にされましたが、体は板橋刑場近くの現在地に埋葬されます。しかし、板橋にあった遺体は親族により密かに運び出され故郷へ埋葬されたそうです。


 現在の板橋にある墓は、明治以降も生き続けた新撰組二番隊組長の永倉新八が建てた墓碑で「近藤勇・土方歳三の墓」となっています。また、当初埋葬された時の墓石も残されていました。




   北区滝野川7丁目8-10



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| 幕末・明治維新 | 07:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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