烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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名古屋城の碑

 古い歴史を持つ名古屋城は様々な歴史の舞台でもあり、城内には色々な碑や説明板が設置されています。
              
 名古屋城は、元は今川義元の父親である今川氏親が尾張侵攻のために築き、それを織田信秀が奪取して居城とした「那古屋城」が起源です。織田信長は、ここで生まれたと言われ、その城域は現在の名古屋城の二ノ丸あたりにあったそうです。
 信長が清須城へ拠点を移すと那古屋城は廃城となりますが、約50年後に徳川家康が九男義直の尾張藩の居城として、この地に名古屋城を建築しました。
 現在、「那古屋城」のあった辺りに説明板が設置されています。



             
                     
Imag1977

那古屋城跡




 「青松葉事件」とは幕末に起こった尾張藩内での佐幕派弾圧事件です。
 幕末には、どこの藩も同じですが藩内が尊王攘夷派と佐幕派に別れて対立が起こっています。
 14代藩主徳川慶勝は就任以来尊皇攘夷派としての立場をとりますが、井伊直弼が大老となると「安政の大獄」による弾圧により隠居へ追い込まれます。
 しかし、直弼が「桜田門外の変」で亡くなると慶勝は息子の義宜を藩主につけ藩政を取り仕切るようになります。そして、大政奉還などの政局にあたるため上洛を繰り返しています。
 慶応4年に「鳥羽・伏見の戦い」で幕府軍が敗北すると名古屋では、京都に派兵するかどうかで、尊王攘夷派と佐幕派で対立が深まりますが、この時、京都にいた慶勝は帰国し、佐幕派に弁明の機会を与えることなく処罰を行います。藩の重臣を始め多くの家臣が斬首あるいは永蟄居などに処されました。
 「青松葉」とは処刑された重臣のうちの筆頭格・渡辺在綱の家が「青松葉」といわれていたことから名付けられたそうです。その後、尾張藩は官軍として旧幕府軍と戦っていますが新政府では特に取り立てられるものはいませんでした。
 現在、処刑が行われた場所の近くに碑が建立されています。



Imag1978

青松葉事件の碑




 藩訓秘伝の碑は初代藩主・徳川直義の直撰「軍書合鑑」の一項の題目で勤皇の精神について述べられています。
 歴代藩主はこれを藩訓として伝えてきました。幕末に御三家であった尾張藩が尊王攘夷派となったのも、この藩訓によるものと言われています。



Imag1981

藩訓秘伝の碑





名古屋市中区本丸1-1 (碑は二ノ丸付近)



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