烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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平手政秀の墓 平和公園

 名古屋市では第二次世界大戦で荒廃した市街地を復興させるにあたり、市内各地にあった278寺院の墓地のみ(約19万基の墓)を千種区鹿子殿地内へ移転させます。それが平和公園で、墓園内は寺院ごとに墓の区画が仕切られていました。その中には歴史的に有名な人物の墓も含まれています。
 平和公園の「政秀寺墓地」には織田信長のもり役であった平手政秀の墓があります。
 平手政秀は尾張を支配した織田信秀の重臣で、天文3年(1534)に信秀の嫡男・信長が生まれるともり役を務めます。天文16年(1547)の信長の初陣の際には後見人を務め、翌年には美濃の斎藤道三との和睦を成立させ、信長と濃姫の婚約をまとめています。
 しかし、天文22年(1553)に政秀は突如自刃しています。理由ははっきりとは分かっていませんが織田信秀が亡くなると、奇行の多かった信長を退けようという動きがあり、信長の奇行を諌めようとしたとも言われています。
 政秀の死後、信長は政秀寺を建立し菩提を弔っています。政秀寺は名古屋市中区にありますが、墓地のみ千草区の平和公園へ移転しています。



             
Imag1883
政秀寺墓地




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平手政秀の墓




愛知県名古屋市千種区平和公園 政秀寺墓地




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