烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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徳川宗春公の墓

 名古屋市千草区の平和公園には尾張藩第七代藩主・徳川宗春公の墓もあります。
 「享保の改革」で質素倹約政策を進める将軍徳川吉宗に対し、行き過ぎた倹約は人々を苦しめ経済の活力が失われるとして大幅な規制緩和を断行します。芝居や祭りを推奨し名古屋は江戸、大阪、京都に続く都市へと発展していきますが幕府との対立は深まり、改易を恐れた国元の重臣たちとの対立もあり、元文4年(1739)に吉宗から蟄居謹慎を命じられて失脚しました。
 宗春は隠居後も謹慎が解かれることはなく、明和元年(1764)に69歳で亡くなりますが、その墓石には金網が掛けられていたといいます。
 徳川宗春の政策により現在の名古屋の発展があり地元では大変人気が高い人物で、その墓は第二次世界大戦時、焼夷弾により損傷していましたが、2010年に地元有志により修復されています。


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徳川宗春公の墓

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宗春公の墓の説明の碑

愛知県名古屋市千種区平和公園 建中寺墓地

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| 江戸時代 | 07:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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