烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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織田信秀の供養塔 平和公園万正寺墓地

 名古屋市千草区の平和公園内の万松寺墓地の入口に、万松寺の開基塔と開山塔が並んでいます。
 万松寺は天文9年(1540)、織田信長の父親、織田信秀により織田家の菩提寺として那古野城の南側に建立され、慶長15年(1610)には、名古屋城築城に伴い現在の   大須3丁目に移転しています。つまり、開基塔とは信秀の供養塔となります。
 織田信秀は、尾張国南西部を支配する勝幡城城主・織田信定の長男として永正7年(1510)に生まれます。信定は尾張下四郡を支配する守護代「織田大和守家」(清洲織田氏)に仕える織田氏一族の庶流でした。本家の守護代「織田大和守家」やその主君、尾張守護斯波氏に代わり、尾張全体を支配するようになるのは信長の時代の事です。
 信秀は家督を相続すると今川氏が築城した那古野城を奪い、ここに居城を移して勢力を拡大していきます。朝廷に献金して従五位下に叙位される等、その地位を固めていきますが、やがて、一族内の対立や今川、斎藤との争い等で苦戦する中、天文20年(1551)に流行病により末森城で急死します。享年42。
 葬儀は万松寺で行われましたが、ここで有名な、信長が位牌に抹香を投げつけるという事件が起きています。
 現在、大須3丁目にある万松寺に信秀の墓が残され観光案内で紹介されていますが、平和公園に墓地が移転した際に開基塔は移ったのでしょう。また、開基塔の隣りには開山塔がありますが万松寺を開山した雲興寺八世・大雲永瑞和尚は織田信秀の叔父にあたる人物です。



Imag1894

開基塔(織田信秀)(左)と開山塔(大雲永瑞和尚)(右)



愛知県名古屋市千種区平和公園 万松寺墓地

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