烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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明治期の碁打ち 赤堀秀時

 名古屋を訪れるにあたり囲碁史関係で何か情報がないか調べていたところ、明治時代に赤堀秀時という人物がいた事が分かりました。
 尾張藩士・赤堀秀時は文政12年(1829)、江戸尾張藩邸に生まれ、明治維新の際には国事に奔走しています。
 囲碁や俳句が趣味だったようで、晩年は囲碁を教授しつつ、歌と俳句の余生を送ったと言われています。通称は源之進、号は琴声。他に棋楽庵・格甫の号があります。
 囲碁界にとってどういう位置の人であったかは分かりませんが、明治43年に発行された「坐隠談叢」(安藤豊次)には尾張藩士で本因坊門下であった山崎外三郎(本因坊より5段昇段。死後、方円社から6段追贈)が面倒を見た後輩として名前が記されていました。明治39年(1906)に亡くなっています。
 事前調査で墓の場所を探していたところ、長栄寺に葬られたという資料を発見したため、千草区の平和公園にある長栄寺墓地を訪れたところ墓を発見。墓石正面には「赤堀秀時先生之墓」と刻まれ、側面に「棋楽亭社中有志者建之」と刻まれています。「棋楽亭」については分かりませんが秀時は「棋楽庵」の号を持っていたことから秀時を中心とした囲碁の団体が墓を建立したと思われます。




Imag1888
赤堀秀時の墓




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墓の側面



愛知県名古屋市千種区平和公園 長栄寺墓地



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| 囲碁史あれこれ | 08:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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